第3代日本使徒座代理区長
ベルナール・タデ・プティジャン司教
1829〜1884
 
神の愛に引かれて発足したショファイユの幼きイエズス修道会を日本に招き入れる役割を果たしたのが 「日本のキリスト信徒発見」 として名高いプティジャン司教でした。彼は、1858年
から1859年にかけて、本会創立期の最も大切な時期に、フランス・ショファイユの修道院付司祭でした。









 
プティジャン司教の紋章
       1829年 614日  フランス、オータン教区ブランジ町生まれ
      1853年 521日  司祭叙階
      1858年         ショファイユの小教区助任司祭
            6月     ショファイユの幼きイエズス修道会指導司祭
       1859
  610日  パリ外国宣教会入会
      18601026日  那覇上陸
      18638月 5日  長崎着
      1865 317日  日本のキリスト信者発見
      1866 622日  ミリオフィートの名儀司教、日本駐在教皇代理任命
       1866
1021日  香港にて司教祝聖
      188410 7  長崎にて帰天
      201410 7  逝去130周年







プティジャン司教
洗礼証明書





修道院の前庭にあるプティジャン司教胸像


ショファイユの幼きイエズス修道会は、1859年フランスのショファイユで創立されました。
日本における宣教は、創立者レーヌ・アンティエが、ベルナール・タデ・プティジャン司教の要請に応えて、1877年(明治10年)、4名のフランス人シスターを日本に派遣したことに始まります。
 

      プティジャン司教による
         幼きイエズスの姉妹のための祈り
 

 主よ、私たちを、あなた以外のものは無であることを認めてあなただけを求め、み旨を
 果たすことをひたすら望み、あなたに全く信頼できるようにしてください。私たちが、尊い 
 召命、つつましい職務を心から愛し、誓願と『生活の規範』に、いつも忠実でありますように。
   幼きイエスよ、私たちは常に熱心な修道女となって、み心をお喜ばせしたいと望んで
 います。私たちは、あなたのみ業を果たすために召されたのですから、人々をあなたのもとに
 導くことができるようにしてください。 アーメン。







仁川本部修道院中庭・東屋





仁川本部修道院:資料展示室


プティジャン司教から本修道会に寄贈された聖遺物
プティジャン司教佩用の「十字架」と「カリス」

    



  プティジャン司教のカリス

  プティジャン司教の1884年10月7日の帰天後のいずれかの日に、後継者クザン長崎司教より
   管区長メール・センテリーにカリスが寄贈されたものと思われますが、時日は明確ではありません。
   この時から故司教のカリスは、本修道会において代々幾歳月にわたり秘蔵され愛蔵されてきました。

   大切なカリスは何時でも何処でも常に修道会と共にありました。すなわち1941年までは長崎管区
   本部に、続いては移転した神戸市三宮管区本部に、さらに戦争末期の1945年3月には空襲を
   避けて疎開した神戸灘区天城通りの管区本部において管区長が保守しました。それでもなお、カリスを
   空襲被爆からの無事を祈って、摂津富田の健康の里(大阪信愛一部生徒の疎開先)に委託疎開
   しました。1945年8月終戦となりカリスは無事でした。

   戦後1950年5月5日、仁川本部修道院が新築され、聖堂のサクリスチに大切に納められましたが、
   現在は資料展示室に保管されています。
 (資料展示室担当:シスター相川 ノブ子)