第3代日本使徒座代理区長
ベルナール・タデ・プティジャン司教
1829〜1884

    
   神の愛に引かれて発足したショファイユの幼きイエズス修道会を日本に招き入れる役割を
果たしたのが「日本のキリスト信徒発見」として名高いプティジャン司教である。
彼は、1858年から1859年にかけて、本会創立期の最も大切な時期に、
フランス・ショファイユの修道院付司祭であった。










プティジャン司教:洗礼証明書




修道院の前庭にあるプティジャン司教胸像








プティジャン司教から本修道会に寄贈された聖遺物
プティジャン司教の佩用 「十字架」 と 「カリス」

    


「カリス」

プティジャン司教の1884年10月7日の帰天後のいずれかの日に、後継者クザン長崎司教
より管区長メール・センテリーにカリスが寄贈されたものと思われるが、時日は明確でない。
この時から故司教のカリスは、本修道会において代々、幾歳月にわたり、秘蔵され
愛蔵されてきたのである。

大切なカリスは何時も何処ででも常に修道会と共にあった。すなわち、1941年までは
長崎管区本部に。続いては移転した神戸市三ノ宮管区本部に、さらに戦争末期の1945年
3月には空襲を避けて疎開した神戸灘区天城通りの本部管区長が保守した。
それでもなお、カリスを空襲被爆からの無事を祈って、摂津富田の健康の里(大阪
信愛一部生徒の疎開先)に委託疎開した。1945年8月終戦となり、カリスは無事であった。

戦後1950年5月5日に仁川本部修道院が新築され、聖堂のサクリスチに
大切に納められたが、現在は資料展示室に保管されている。
(資料展示室担当:シスター相川 ノブ子)