ショパン作曲:「雨だれ」ガ流れています





 
 
創立者:レーヌ・アンティエ
1801〜1883 
 神は、その独り子をお与えになったほどに 
世を愛された。
(ヨハネ3−16)
人々が神を知り、神を愛するようになるために、
私たちの全生涯を捧げましょう。  
 



ショファイユの幼きイエズス修道会について 

 全世界に行って

福音を

宣べ伝えなさい


(マルコ16.15)


ショファイユの幼きイエズス修道会は、1859年(江戸時代)フランスのショファイユで創立されました。
現在、フランス・日本・カナダ・ドミニカ共和国・アフリカチャド・カンボジア・ハイチにおいて、様々な活動を通して創立者が抱いたヴィジョンを受け継ぎ、苦しむ人々、特に青少年、病人、老人、障害を持つ人々の命への奉仕と、キリスト教的教育を通してイエスの愛を証する使命を生きています。

修道会の総本部はフランスのパリー郊外にあり、2021年よりシスター小井手恵美子が総長です。

日本における宣教は、創立者レーヌ・アンティエが、ベルナール・タデ・プティジャン司教の要請に応えて、1877年
(明治10年)、4名のフランス人シスターを派遣したことに始まります。

日本における180数名の会員は、14の支部共同体に属し、教育使徒職、社会福祉使徒職にそれぞれ従事しています。(2023年現在、海外で働く会員は21名)日本管区本部は宝塚市仁川にあり、2023年4月からシスター片岡 礼子が日本管区 管区長です。





 
フランス:ル・プュイの「幼きイエズス教育会」の会員であったレーヌ・アンティエは、1846年、数名のシスターとショファイユに派遣され、キリスト教的教育に専念した。彼女の教育に惹かれて集まる若い女性たちの養成にも力を注ぎ、次第にブルゴーニュ地方の奥地まで女子学校が開設された。産業革命による織物業の発展の中で、働く婦人たちの子供の保育や病人の世話など、当時の社会の要求にも応えた。
 オータン教区司教の要望により、ショファイユの共同体をピュイから分離独立させる話が進められ、彼女は苦悩した。しかしアルスの司祭ジャンマリー・ヴィアンネの摂理的な助言に従い、全き信頼のうちに決定に従った。 こうして
1859年、ショファイユの幼きイエズス修道会は教会から公認された修道会として正式に誕生した。 人類を愛するあまり、マリアにおいて幼子となられた神の愛を、地の果てまでも伝えたいと熱望していた創立者は、かつて修道院付き司祭であったプティジャン司教の要請に応えて、1877年(明治10年)シスター達4名を日本に派遣した。会員は、苦しむ人々、特に青少年、病人、老人、障害を持つ人々の命への奉仕とキリスト教的教育を通してイエスの愛を証する使命を生きている。
(修道会紹介より)





ショファイユの幼きイエズス修道会は、神の呼びかけに応えて生きようとした女性たちが
聖霊に導かれて共に集い、キリスト教的教育をとおしてイエスの愛を証する使命に生き、
使徒職 「いのちへの奉仕」 に献身しています。















●私たちの人間性を完成に導くために人となられた神をはっきりと述べ伝えます。
●神を信じる人々が、信仰を深めながら、イエス・キリストの証し人として生きるのを助けます。
●すべての人が「いのち」の神秘を十分に意識し、「いのち」を神からの贈り物として大切にし、
  「いのち」に対する感謝と喜びを実感できるよう援助します。




日本管区創設者

 日本のキリスト信徒発見で名高いプティジャン司教の招きに応え、禁教令が解けて
間もない1877年(明治10年)、4名のフランス人シスターが来日しました。



マリー・ジュスティヌ(36歳)
センテリー(28歳)
セン・フランソワ・ド・ボルジア(27歳)
マリー・ベルナルディヌ(23歳)


 シスターたちは言語に絶する困難を乗り越えながら、教会や人々の必要に応えて
教育使徒職や社会福祉使徒職に献身し、日本管区の礎となりました。


 日本の共同体




 
世界の共同体







修道会発祥の地フランス:ショファイユ




ショファイユの母修院








創立者:レーヌ・アンティエ 
 
 





















レーヌ・アンティエの生涯を
わかりやすく紹介した絵本



ショファイユの幼きイエズス修道会の創立者レ−ヌ・アンティエは、フランス革命の嵐も静まり、教会が再び活気を取り戻した1801年11月19日に、フランスの中部、オーベルニュ地方のローソンヌ村に生まれました。
 
生来豊かな天分に恵まれていたレーヌ・アンティエは、活発で独創性に富んだ茶目っ気たっぷりの明るい子供でした。
一族から多くの聖職者を出した信仰の家族を背景に成長しました。
幼少期のレーヌ・アンティエの喜びは、
”多くの人々が神を知り、神を愛するようになる”ことでした。

レーヌ・アンティエは、伯父の勧めでル・ピュイ・アン・ヴレの聖なる幼きイエズス教育会の学校で学ぶ機会に恵まれました。

1821年、ル・ピュイ・アン・ヴレの聖なる幼きイエズス教育会の会員として神への奉仕に生きる誓約を行い正式会員となりました。

1846年10月31日、レーヌ・アンティエは、ニコラ・ランベール神父の嘆願に応え、教育会の数人のシスターと共にソーヌ・エ・ロワール県のショファイユに派遣され、そこで学校教育・福祉活動に専念しました。

ブルゴーニュ地方の奥まった村々に、彼女たちによって数多くの女子学校が開設されました。

1859年(江戸時代)9月14日、幼きイエズス修道会は、教会から公認された修道会として正式に誕生しました。レーヌ・アンティエは、総長に選出され、修道会創立の任を引き受けました。

レーヌ・アンティエは、神の愛を告げ知らせるために、地の果てまでも行きたいという熱意に燃えていました。

1877年(明治10年)7月、プティジャン司教の要請に応え、4名のフランス人シスターを日本に派遣しました。

レーヌ・アンティエは、1883年10月28日ショファイユの母修院において永眠しました。(82歳)
 


 















宣教熱に燃えていた
レーヌ・アンティエ





 日本管区本部修道院

管区本部 仁川本部修道院全景 本部修道院正門

 

 
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