大天使 聖ミカエル像


修道院前庭にある聖ミカエル像
私たちを守り導く聖ミカエル! 今もいつも私たちのために祈ってください。

     

↑ 大天使聖ミカエル像について、聖ミカエル像移設の経緯について記されている。↑





 大天使聖ミカエル像  聖ミカエル像移設の経緯
 
神戸セント・マリー女学院の校舎屋上に聳えてい
たこの像を、1954年(昭和29年)その
閉校の際 ここ仁川に移設した。

聖ミカエルは、旧約聖書及び新約聖書に登場す
る天使群の長であり、旧約聖書には、神に反逆
する悪天使を地獄に追放したことが記されており、イスラエルの守護者とされていた。

新約聖書には、巨大な竜(サタン・悪魔ともよば
れ、全世界を惑わす あの蛇)との戦いに勝利し
たことが描かれている。
  
聖フランシスコ・ザビエルは、日本の教会を大天使聖ミカエルの守護に委ねている。
 
1899年(明治32年)12月16日神戸市元居留地
裏町41番館に、ショファイユの幼きイエズス修道会修道女フラン
ス人シスター・センタンヌによって、聖マリア女学校(エコール・セント
・マリー)が創設された。
これは居留地に住む外国人の子女の教育施設であった。生徒
の増加につれて、1912年(明治45年)神戸市神戸区
下山手通り二丁目外8番地に土地家屋を購入して移転した。

更に、1926年(大正15年)その地に鉄筋コンクリート四
階建て校舎を新築した。その際、フランス人シスターは祈りを込め
て屋上に聖母子像と聖ミカエル像を据え、生徒及び神戸市民を
その保護に委ねた。聖マリア女学校は名実共に充実していった。

しかし、第二次世界大戦の勃発により、外交人の居留、相継ぐ
空襲により、神戸市も見渡す限り瓦礫の廃墟と化し、学校の敷
地内の修道院と聖堂は全焼したが、聖母子像と聖ミカエル像と
共に校舎は奇跡的に戦禍を免れて残った。居留生活から戻った
カナダ人シスターと共に、相当荒れていた内部を修復整備して学
校をさらに発展させた。
 このように神戸市唯一のカトリック学校としての使命を続けてき
た聖マリア女学校も、1954年(昭和29年)閉校となった。
それに伴い、
50余年の長きにわたって、この学校を見守り続け
てきた聖母子像と大天使聖ミカエル像は、仁川本部に移され、
聖母子像は正面聖堂の高見から、訪れる人に今も美しくやさしい
眼差しを投げかけており、大天使聖ミカエル像はその雄々しい姿
で ここ仁川に住む会員の心を励ましている。





1954年
神戸の聖マリア女学校から仁川本部修道院に移された聖母子像


聖母子像は正面聖堂の高見から、
訪れる人に今も美しくやさしい眼差しを投げかけています。