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クリスマスメッセージ










十字架称賛の祝日そして修道会創立165周年記念日
おめでとうございます!

会員の皆様

 十字架称賛の祝日そして修道会創立165周年記念日、おめでとうございます!

創立者メール・アンティエは1882年のこの日に、日本のミッションの責任者であったスール・ジュスティヌに宛てた手紙に次のように書いています。 『この日は、修道会にとっては祭日で、主が私たちの共同体にお与えくださったすべての恵みに感謝する日であり、更に、私たちを修道生活に招いてくださった主のこの恵みに、私たちがわずかしかお応えできなかことを償う日でもあります。
この記念すべき日に、私たちは本会に召された恵みと創立以来165年間、神さまが修道会に注いでくださった恵みに感謝しつつ、その恵みに十分に応えられなかったことを認めながらも、信頼と希望をもって新たに歩み始めることを約束します。

 本会が十字架称賛の日に創立されたことには、特別な意味があると私は思います。新たな歩みを始めるために、今日、私は皆さまと一緒に、『 我、渇く 』 ( ヨハネ1928  ) という十字架上のイエスのことばについて考えてみたいと思います。というより、私は今年の休暇中に参加した黙想会での体験を、皆さまと分かち合いたいのです。

 
この黙想会では毎日、午後5時から1時間、顕示されたご聖体の前で祈る時間が組まれていました。黙想会も終わりに近づいたある日、ご聖体を祭壇上に安置した指導司祭はいつものように、私たちの祈りの助けになるような短い話をし、「今日、イエスはあなたに『 我、渇く 』と言われる。あなたはこのイエスの渇きを和らげるために、何を差し出すのか?」と、私たちに問いかけました。イエズス会の黙想の家ですから、皆さんご存じのように、チャペルの正面の壁には大きな十字架が架かっています。十字架に架けられたイエスを見つめているうちに、突然、先の問いかけがこころに迫ってきました。私はこれまで何度も、『 我、渇く 』というイエスのこのことばを話の中で聞いたり聖書で読んだりしましたが、それが私への個人的な問いかけだと感じたことは一度もありませんでした。しかしこの日は、「あなたは、この私の渇きを潤すために、何を差し出すのか?」とイエスは私に迫りました。そして私は、「何を差し出せばいいのだろう?」「何を差し出すことができるだろうか?」と自分に問い続けました。この時に出会った『 我、渇く 』というイエスのことばは、
私の心に大きな一撃を与えました。あまりにもショッキングなこの問いかけは今も消えることなく、私はこの問いにどう応えるべきか自問し続けています。

イエスは愛に根ざしたおん父への従順から、すべての人を救いたいというおん父のご計画を全うするために、人間と同じ姿をとりご自分のいのちを捧げられました。こイエスの愛による全き従順によって、死刑の道具であった十字架が、忠実な生き方の証し、愛と救いのシンボルとなったのです。十字架称賛の祝日であるこの日に、皆さんに私の体験を分かち合い、『 我、渇く 』というこのことばが私たちにとって何を意味するのか、イエスは何に渇いておられるのか考えてみたいと思います。

 私たちは初誓願宣立の時に、イエスに従うために生涯を捧げることを誓約しました。すなわち、日々の生活において、十字架を担って彼についていくことを約束したのです。『誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、私についてきなさい。 』(マタイ1624節 )しかし、私たちは日々の生活において困難に出会う時、その重さや苦しさのゆえに、この十字架を放り出したい思いに駆られることがあります。皆さんも、「どうしてこのような辛いことが、私に?」「もう耐えられない」と、十字架から逃げたいと思ったことがあるのではないかと思います。十字架上のイエスは、そのような逃げ腰の私たちに、初誓願の時にした「ハイ」に忠実であるよう求めておられます。イエスは、私たちの愛に満ちた心からの「ハイ」という応答に渇いておられるのです。イエスが人となるためにマリアの「ハイ」が必要であったように、彼が救いのわざを継続していくためには、弟子であり友である私たちの信頼と愛に満ちた「ハイ」が必要なのです。

 メール・アンティエは、先の手紙の最後に『常に寛大な心で、主のくびきを担わなければなりません。時として、人間的な弱さのゆえに、そのくびきが重いと感じることがありますが、その時でさえ担わなければなりません。』と書いています。

   十字架称賛の祝日、そして修道会の創立記念日である今日、私は、自分自身のためそして皆さまのために、
「主よ、ハイと言わせてください ! と祈ります。創立者
メール・アンティエの後に続く私たちが、ショファイユの幼きイエズス修道会に招かれた恵みを感謝しつつ、生涯、召された道を誠実に歩み続けるために、これからも日々の生活において、いかなる時も「ハイ」と応え続けることができますように。
 
2024914日 
モンフェルメイユにて 

総長 シスター小井手 恵美子




仁川本部修道院
創立記念日に感謝の一日礼拝!







Congrégation des Sœurs  de l’Enfant-Jésus de Chauffailles
2 bis, rue du Chalet  93370 Montfermeil

エンマヌエル、私たちを救いに来てください!

会員の皆さま、

   私たちは今日から特別な典礼の季節に入りました。特に私たち幼きイエズス修道会の会員にとって、待降節は、私たちのためにお生まれになる幼子を迎える準備をする特別な時です。私たちは、どのように幼子イエスを迎える準備をすればいいのでしょうか?今日の福音でイエスは私たちに、「目覚めていなさい!」と繰り返し教えています。目覚めているとはいのちであり、光であり、真理であり、正義であり、救い主であり、道であるイエスとの出会いの場に立ち会うことです。目覚めているとは、普通の時も特別な時も、楽しい時も辛い時も、人生のあらゆる時に訪れる出会いの瞬間を見逃さないことです。
(マリー・ロール・デュラン、聖書学者)
 

   私たちを取り巻く世界を見ると、いつ終わるとも知れない戦争、繰り返される自然災害、過激化する暴力などが後を絶たず、状況は日に日に悪化しています。 これは世の終わりなのだろうか?と思ったりもします。聖書に 民族は民族に対し、国は国に敵対して立ち上がり、大地震が起こり、各地で災いや飢饉が起こり、恐ろしいことや大きなしるしが天から現れる(ルカ21, 10 - 11)と書かれているようなことが 、現に起こっているからです。

  しかし、イエスは「目を覚まして、いつも祈りなさい。」と私たちに言われます。絶えず目を覚まし祈りながら、たとえ生きることが楽しくなく、苦しく辛い時でも、私たちの日々の生活の中に訪れる出会いの瞬間を見逃さないようにしましょう。特に今年の待降節には、私たちのすぐ傍にいて悩み苦しんでいる人々に、光であるイエスを届けましょう。彼らとの出会いの中で、私たちも救い主イエスに出会うことができるのですから。


私は、メール・アンティエのことばで、この手紙を結びたいと思います。

 『皆さん、受肉することを通してご自分を低くし、ご自分を無とされたみことばを特別に礼拝するためのこの待降節こそ、受肉の秘義を念祷する中で深めなければなりません。言葉で言い尽くせないこの秘義に対する信仰と愛を燃え立たせましょう。この秘義を黙想することによって、私たちをこれほど愛してくださったおん方をお愛しすることだけではなく、このおん方に倣って生きること、特に、ご自分を無とされたその謙虚さと人類の救いに対する熱意に倣って生きるすべを学びましょう。          


有意義な待降節でありますようにと祈りつつ。


2023年12月3日、待降節第1主日  総長 シスター小井手恵美子



Congrégation des Sœurs  de l’Enfant-Jésus de Chauffailles
2 bis, rue du Chalet  93370 Montfermeil


総長メッセージ

会員の皆さま、                                 

 この夏は、地球温暖化による異常気象のため、世界の至る所で、観測史上初めてといわれる猛暑、それによって引き起こされた山火事、不安定な大気による大雨、そして洪水・土砂崩れなど、多くの人々が口を揃えて「これまで体験したことがない」と言うような自然災害が相次ぎました。

 地球を皆が共に暮らす家と表現する教皇フランシスコは、ラウダ-ト・シの中で、この私たちの家は『神から賜ったよきものを、私たち人間が無責任に使用したり乱用したりすることによって生じた傷のゆえに、今、私たちに叫び声を上げています。』と書いていますが、まさにその叫び声をすぐ身近かで聞いたような夏でした。もはや私たちは、この叫びに耳を塞ぐことはできません。むしろこの事実に痛みをもって気づき、共に暮らす家に起きていることを自分自身の個人的な苦しみとして受け止め、そのために私に何ができるのか、また何をすべきかを考えるようにという課題を突き付けられたように感じました。
皆さまはいかがでしょうか?



 私たちは、もうすぐ十字架称賛の祝日と修道会創立164周年記念日を迎えます。そのために、私は皆さまに何をお伝えしようかと考えながら祈っていた時、チャペルの壁に掛かっているエンマニュエルの聖母のイコンに目が留まりました。
 皆さまは、幼きイエズス修道会の霊性をよく表しているこのイコンをご存じだと思いますが、聖母が両手を広げて愛する御子イエスを私たちにさし出し、イエスも両手を広げてご自分を私たちにさし出して祝福
しておられます。マリアの両手はイエスの両手の延長線上にあり、マリアの両手の延長線上に、「地の果てまでも神の愛を伝えたい」と願っていたメール・アンティエの手があり、さらにその先に私たちの手があると考えることができます。このイコンを黙想しながら、私はずいぶん前に目にした次の祈りを思い出しました。  
 
 キリストには手がない、私たちの手があるだけ

キリストには手がない。今日のご自分の仕事をするのに、私たちの手があるだけ…

キリストには足がない。ご自分の道を辿る人々を導くのに、私たちの足があるだけ…

キリストには口がない。ご自分について人々に語るのに、私たちの口があるだけ…

キリストには助け手がない。

         人々をご自分のもとに招き入れるのに、私たちの助けがあるだけ…

私たちは唯一の聖書であり、人々は今もこれを読んでいる。

私たちは、行いとことばによって書かれた神の最後のメッセージ

 
 (作者不明 14世紀)
 

 確かに、すべての人を救うためにおん父から遣わされ、おん父の愛を宣べ伝えた人間イエスの生涯は、十字架に釘づけにされ「なしとげられた」ということばで終わりました。しかし、救いの業はこれで終わったのでも完成されたのでもなく、私たちに託されたのです。イエスが救いの業を継続し神の国を完成するためには、助け手が必要なのです。私たちは、私たちへの愛のために、ご自分のすべてを与え尽くされたイエスの手足となって御父の愛を伝え続け、私たちの生きざまをとうして神の愛を証しするために幼きイエズス修道会に呼ばれました。私たちが、救いのみ業を完成するための助け手として働くことができるよう、その恵みを祈り求めましょう。

 マリアのうちに生きておられるイエスが、いつも私たちのうちに生き働いてくださいますように、そして、私たちがマリアの手・創立者の手の延長として、キリストを運ぶ者、その業を継続する者となることができますように!

                              

2023年9月8日 聖マリアの誕生の祝日に  

総長 小井手恵美子

 


Congrégation des Sœurs  de l’Enfant-Jésus de Chauffailles
2 bis, rue du Chalet  93370 Montfermeil


総長メッセージ  

会員の皆さま、

聖母の被昇天の祝日、おめでとうございます。

    聖母マリアが天に昇られたことを祝うこの日に、平和の元后である聖マリアに、1日も早く世界に平和が訪れるよう取次ぎを求めて祈りましょう。

 この日は、日本では、第二次世界大戦の終戦記念日でもあります。8月6日に広島に、9日に長崎に原子爆弾が投下され、一瞬にして瓦礫と化したこれらの町では数十万人が被爆し、8月15日に戦争は終わりました。その日から78年目を迎えましたが、平和を願う動きとは裏腹に、ロシアによるウクライナ侵攻をはじめ、世界のいたるところで、いつ終わるとも知れない戦いが続いているばかりか、さらに核の脅威が高まっています。このような時だからこそ、私たちは心から平和を祈り求めます。
平和の元后聖マリア、私たちのために祈ってください!


  2023.8.
                          総長 小井手惠美子




 
復活祭は、新しいいのちの誕生・・・


復活祭ごとに、復活は死後に起こるべきことではなく、今日始まる新しい現実であることを私たちは思い起こします

復活するということは新しい命に生まれ変わることであると、福音は私たちに教えます。新しいいのちは今始まり、私たちがほんの少し自由になり、ほんの少し優しくなるたびに日々、体験するものです。
復活は、死の力に対する日々の勝利です。死後の世界はすでに存在している現実であり、私たち自身の内なるものです。よみがえられたキリストのこの新しいいのちは、私たちの日常生活の中で「内奥に」ならなければなりません。回心することは、絶えず外から、つまり表面的なものから「内面」へ向かうことであり、私たちの「内奥に」おられるいのちそそのものである神の親密さと出会うことです。


                      2023.4.
                       Sr.アンドレ・カロンr.e.j
 



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Echos de Vie (:いのちの響き合い)


総長メッセージ
 (Echos de Vie より)

 
会員の皆さま

 数日後に、私たちは幼子イエスを迎えます。準備はオーケイですか?掃除も終わったし馬小屋や彩鮮やかな数々のデコレーションも飾ったし、ご馳走のメニューも決めたし… ところで、心の準備は十分でしょうか。クリスマスが近づくと、私たちはたくさんのことに心を奪われて、時々、肝心なことを後回しにしがちです。ですからここ数日は 、心静かに、お生まれになる幼子イエスに目を注ぎましょう。「受肉の秘儀の現実」を頭でではなく、心で黙想してはいかがでしょうか。また降誕節の間、教皇フランシスコが、昨年のクリスマスの真夜中のミサで私たちを招かれたように、幼子イエスに注目しましょう。

 「これは驚嘆すべき出来事です。全世界を支配する方が、抱擁を必要としています。太陽を創造された方が、今、温められることを必要としています。優しさそのものである方が、今、優しさを必要としています。無限の愛である方が、小さな心臓でかすかな鼓動を伝えています。永遠のみことばそのものである方が、もの言えぬ赤子となっています。生命のパンである方が、養われなければなりません。世界の創造主には、住まいがありません。今日、すべては逆になります。神はこの世に小さき者としておいでになり、その偉大さを小ささの中に表されます。」

 そして、彼はさらに、自分が取るに足りない、価値のない存在だと感じている人に、こう続けます。「今晩、神はあなたにこう答えられるでしょう。私は、あるがままのあなたを愛している。あなたの小ささに私は驚かない。あなたの弱さに驚きはしない。私はあなたのために小さくなった。あなたの神となるために、あなたの兄弟となった。」と。

 2022年の今、私にとって、幼子の誕生は何を意味するのでしょうか?

 私たちのまわりには、温められること・抱きしめられること・優しさを必要としている人々が、声を上げたくても上げられない人が、日々の糧に事欠いている人が、住むところもない人が何とたくさんいることでしょう。でも、私に何ができるでしょう?少なくとも、その人々の中に幼子イエスを見ること、兄弟・姉妹となることはできないでしょうか?

 私たち自身、脆い土の器ですが、だからこそ、共にいてくださる神の存在が、受け入れ合い・許し合い・支え合う姉妹たちの存在が、いかに大切であるかを知っています。 神のひとり子が、私たちを愛するために小さな者となり、共にいてくださるのであれば、私たちもまた、日々の小さな愛の業によって、私たちを必要としている人々の兄弟・姉妹となるよう求められているのではないでしょうか。お生まれになる幼子、エンマニュエル(共にいる神)に、そのために必要な恵みを願い求めたいと思います。

 クリスマスおめでとうございます。そして新しい年が、皆さまにとって神さまの豊かな祝福で満たされた1年でありますように!

 最後に、たくさんの共同体からいただいたクリスマスカードと新年のお祝いのメッセージに対し、心からの感謝をお伝えします。ありがとうございました!

              2022年12月22日モンフェルメイユにて

                      総長 小井手 恵美子  

 




Congrégation des Sœurs  de l’Enfant-Jésus de Chauffailles
2 bis, rue du Chalet  93370 Montfermeil



Echos de Vie (:いのちの響き合い)


 総長メッセージ
 (Echos de Vie より)

会員の皆さま、

  私たちはもうすぐ、私たちにとって特別の期間である待降節を迎えます。私は、受肉の秘義をより深く生きるために、美しい祈りを皆さまに分かち合いたいと思います。      

 ー 日々、少しずつ ー

  愛が本物であるためには、
特別素晴らしいものでなければならないと考えないでください。
必要なのは愛し続けることです。

  もし少しずつ油を注ぎ続けなければ、
どうしてランプは輝くことができるでしょうか?
油が全くなければ、灯りもありません、
そして、花婿は言うでしょう「私は、あなたを知らない」と。

  愛する皆さん、私たちのランプの油とは何でしょうか?
それは、日々の生活における小さなおこないです。
喜び、寛大さ、優しいひとこと、謙遜、忍耐、また、ただ単に
他の人のことを慮ること、必要であればそっとしておくこと、
聴くこと、関わること、許すこと、語ること、行動すること。
これこそが、生き生きとした炎を燃やす本当の愛のしずくです。


イエスを、遠くに探さないでください。
そこに彼はいません、私たちのうちにいるのです。

  ランプに油を注ぎ続けてください、そうすれば彼を見るでしょう

                        マザー・テレサ
  

  皆さんは子どもの頃、待降節の間に何か良いことをしたら、お生まれになるイエス様を迎えるための愛のしるしとして、馬小屋の飼い葉桶に小さな藁を置いた体験はありませんか?今でも、それを実践していいのではないでしょうか?世界では今、戦争、苦しみ、暴力が続いています。
 
 私たちのランプを灯さずに、どのようにして光であるキリストを世に示すことができるでしょうか?日々の生活のなかで、小さな愛の行為によってランプに油を注ぎながら、私たち1人ひとりのうちに、またすべての人のうちに生きておられるイエスを温るために、灯火をより輝かせるよう努めましょう。


  イエスよ、早く来てください、私たちはあなたの誕生を待っています!



    20221120                

                                 総長 小井手惠美子 
 



 総長メッセージ



ショファイユの幼きイエズス修道会
創立1859年

第15代総長(2021~)
シスター小井手 惠美子
 



修道会創立163周年記念日にあたり会員にあてたメッセージより抜粋

会員の皆さま、

 まもなく私たちは、十字架称賛の祝日を祝いますが、この日は、幼きイエズス修道会の創立163周年記念日でもあります。 

 本会の創立記念日が、十字架称賛の祝日と重なっていることは、私たち会員にとってはとても意味深いことであり、いろいろなことを考えさせてくれます。

 ところで、私たちは、1日に何度、十字架のしるしをしているでしょうか? 共同で、または個人でする祈りの始めや終りに、あるいは食前・食後に、あまりその意味も考えずに十字を切っているということはないでしょうか?( 私も含めて)

 イエスは、「どの掟が一番大切な掟か?」という律法学者の問いに、「心を尽くし、魂を尽くし、知恵を尽くして、主なる神を愛すること」そして、第2も第1と同じく大切で「隣人を自分と同じように愛すること」と答えました。この聖書のことばを聞く度に、私は十字架を思い起こします。一般的に、十字架の縦軸は神との関係を、横軸は隣人との関係を表していると言われています。縦軸だけ、また横軸だけでは十字架にはなりません。そして、その縦軸と横軸の交わるところに、磔にされたイエスの姿があります。このイエスの姿は、彼が律法学者への応えをそのまま生きたことを証ししていると言えます。父なる神は、ご自分の独り子を与えるほど人類を愛されました。そして、イエスはおん父の愛を示すために、おん父のみ旨を最優先し、それを実現するためにいのちを捧げました。また、私たちと同じ人間となって、私たちの中で生き、私たちを愛し、その愛する私たちのためにいのちを捧げました。十字架称賛の祝日を祝う時、私たちは、最も大切な掟、すなわち愛の掟に忠実に生きたモデルを、十字架上のイエスのうちに見ることができ、極みまで私たちを愛された彼に倣って生きる力を得ることができます。十字架の縦軸は、おん父とおん子の愛の交わりを、またイエスを通しておん父へ向かう私たちとの愛の繋がりを示していると言えます。さらに横軸は、イエスを中心に、すべての人類が愛によって結ばれていることを表していると言えるでしょう。  

 愛に生きたイエスに倣って、人々に神の愛を伝えるために修道生活に召された私たちにとって、この祝日は、自分自身をふりかえるよいチャンスです。「私は、おん父の愛に応えたいと願っているでしょうか?」「私を愛するためにいのちを捧げたイエスに従うため、日々与えられる十字架を引き受けようとしているでしょうか?」「私を必要としているこの姉妹、また隣人のために、喜んで自分の時間や能力を差し出しているでしょうか?」「日々の糧にもこと欠く人々のため、いのちの危機にさらされている人々のために、私たちにできる小さな犠牲を捧げているでしょうか、少なくともその現実に心を痛め、彼らのために祈っているでしょうか?」など‥‥愛のためにいのちを捧げられたイエスが架けられた十字架の前で、自分自身をじっくり見つめる時を持ってみてはいかがでしょう。  

 私への愛のためにいのちを捧げたイエスは、彼に倣って生きるようにと、私に求めます。しかし、弱い私の人間性は「日々、自分に与えられた十字架を担いつつ、愛に生きることは何と難しいことか‥‥」とつぶやきます。しかし、そのような時にも、いえ、そのような時こそ、土の器である私の中に生き、私を通して働かれる神さまに信頼して、一歩一歩、イエスのあとに続いて歩んでいく力を与えてくださるよう祈り求めたいと思います。

 創立者メール・アンティエは父である神の愛に、またその独り子であるイエスの愛に魅せられ、その愛を伝えるために、ショファイユの幼きイエズス修道会を創立しました。そして、創立者のあとに従った多くの先輩方によって、163年の歴史が築かれてきました。私たちにとって特別の日であるこの祝日に、これまで修道会に与えられたたくさんの恵みに感謝するとともに、創立者の心に燃えていた愛の炎を灯し続けながら、さらに次の世代にバトンタッチする責任を担っていることを自覚したいと思います。創立記念日を迎えるにあたり、私たちが、互いの弱さや限界を受け入れ・補い合いながら、真に兄弟愛に満ちた共同体的生き方をとおして神さまの愛を証しすることができるよう、また、私たちの後に続きたいと願う若者が多く与えられるよう、そして彼女たちが、希望を持ってこの炎を受け継いでいくために全会員が惜しみなく協力することができるよう、心を合わせて必要な恵みを祈り求めましょう。

 今日、全教会は、教皇フランシスコの呼びかけに応え、教会本来の姿に戻るため、2023年のシノドスに向けての歩みを続けています。共に歩むためには、先ず、聖霊に聴くこと、そしてお互いに、心で聴く・心を聴くことが大切です。
 修道会も今、大きな転換期を迎えています。ペトロの船のように荒波に弄ばれて漕ぎ悩んだり、時には、どちらに舵を切るべきか考えあぐねることも、人間的には不可能だと思われるようなこともありますが、そのような時にも、私たちのうちに生き、私たちを通して働かれる方に信頼しながら、ペトロのように「おことばですから、網を降ろしてみましょう」と言える存在でありたいと思います。 ・・・

 私たちが、おん父の愛にすべてを委ねて、聖霊に耳を傾け、イエスが共に歩んでくださっていることを信じ、勇気を持って前進することができますように‥‥

皆さまにとって、意義深い十字架称賛の祝日、また創立記念日でありますように!
主の十字架を称えつつ、祈りの中に一致して。  

 

202298日 聖母マリア誕生の祝日に
モンフェルメイユにて

                                          総長 小井手 惠美子




お知らせ一覧

 2024.12.14
 
女子青年黙想会 ご案内!   

女子青年黙想会 《2025年 2月8日(土 )~9日(
)》 を開催いたします。
多くの方の参加をお待ちしております。 
詳細
     
 
 2023.5.01  女子青年黙想会 ご案内!   

女子青年黙想会 《2023年6月10日(土 )~11日(日)》を開催いたします。
多くの方の参加をお待ちしております。 
詳細

      前回の女子青年黙想会

     
 
 2023.1.20  女子青年黙想会中止のお知らせ!   

来る、2月11~12日に予定していました”女子青年黙想会”は、
新型コロナウイルス感染拡大に伴い、中止させていただきます。
お申し込みいただきました方々には残念でございますが、また次の機会にお会いできますことを楽しみに致しております。
シスター一同