お知らせ

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Congrégation des Sœurs  de l’Enfant-Jésus de Chauffailles
2 bis, rue du Chalet  93370 Montfermeil

Echos de Vie (:いのちの響き合い)

会員の皆さま、


十字架称賛の祝日、そして修道会の創立記念日、おめでとうございます。

今年は希望の聖年でもありますから、例年とは違う角度からこの日を祝ってみてはいかがでしょうか?

皆さまが十字架に目を向ける時、最初に思い浮かぶことは何でしょうか?
十字架上の痛ましいイエスの姿を目にする時、私たちのために受けられた苦しみや、槍で貫かれた脇 腹、そして流された血などを私たちはまず思い起こします。
でも今日は、そこからさらに「なぜ、イエスはそこまでして私を救いたかったのだろうか?」という十字架上のイエスの心の奥にまで思いを馳せ、痛ましいイエスの姿に隠された神の愛の秘義を黙想してみてはいかがでしょうか。

神は愛であり、この愛なる神は人間をこよなく愛し、神のいのちを人間と分かち合いたいと思われました。しかし、この神の愛の交わりに人間を迎え入れるためには、人間が罪と死から救われる必要があ
ったので、神は愛する独り子を救い主としてこの世に送られました。神であり人間であるこの方イエスを、私たちは信じています

。このイエスは私たちと同じ人間の姿をとり、私たちの1人となられました。私たちと同じように、愛し愛されること、喜びや悲しみ、友情や裏切りなど、私たちが日々の生活の中で体験しているすべて(罪以外の)
を体験されました。しかも、「この杯を取り除いてください」と祈られるほどの苦しみを味わいながらも、「私の望みではなく、あなたのみ旨が行われますように!」 
 

という完全な受諾によって、ご自分に与えられた使命を全うし、すべての人を救うために十字架につけられご自分の命を捧げられました。神の独り子が、すべての人を救うために十字架上で亡くなられたことにより、十字架は、単に崇めまつる対象でも飾りでもなく、神の愛の事実を最も豊かに表すしるしとなったのです。ですから、私たちは十字架を仰ぐたびに、神の愛の真実を受け入れるよう招かれているのです。

十字架称賛の祝日である今日、独り子を与えるほど愛された私たちへの神の愛を、そして愛するおん父の望みを全うされたイエスのおん父への愛と、ご自分のいのちを与えるほどの私たちへの愛を、十字架を見つめながら黙想し、このいのちの交わりに加わるように招かれたことに感謝したいものです。

教会にとっても修道会にとっても特別に記念すべきこの日に、私は2026年の総議会開催を公に発表する文書を皆さまに送ります。総議会は、修道会がこれまで生きてきた歩み を感謝する時であり、同時に、私たちが神さまの招き・み旨に忠実に応えてきたかを振り返る時、さらに、私たちを集めてくださった神さまに全幅の信頼を置き希望を持って再出発する時でもあります。
 
 ますます混迷を深める現代世界の中で生きる私たちが、人々の心の叫びに耳を傾け、時のしるしを読み取り、それを希望のしるしに換えるようにという遺言を、教皇フランシスコは私たちに残されました。それに応えるためには、私たちがしっかり心の目と耳を開き、愛である神さまが私に、そして私たちの修道会に何を求めておられるのかを見極めることが必要です。その意味でも、次の総議会は私たちの歩みにとって特別なものとなるはずです。

この恵みの時を準備する私たちの歩みに神さまが同伴し、豊かに聖霊を注いでくださるように祈りましょう。

 

 

2025年9月14日、モンフェルメイユにて

 

  小井  恵美

 







十字架称賛の祝日そして修道会創立165周年記念日
おめでとうございます!

会員の皆様

 十字架称賛の祝日そして修道会創立165周年記念日、おめでとうございます!

創立者メール・アンティエは1882年のこの日に、日本のミッションの責任者であったスール・ジュスティヌに宛てた手紙に次のように書いています。 『この日は、修道会にとっては祭日で、主が私たちの共同体にお与えくださったすべての恵みに感謝する日であり、更に、私たちを修道生活に招いてくださった主のこの恵みに、私たちがわずかしかお応えできなかことを償う日でもあります。
この記念すべき日に、私たちは本会に召された恵みと創立以来165年間、神さまが修道会に注いでくださった恵みに感謝しつつ、その恵みに十分に応えられなかったことを認めながらも、信頼と希望をもって新たに歩み始めることを約束します。

 本会が十字架称賛の日に創立されたことには、特別な意味があると私は思います。新たな歩みを始めるために、今日、私は皆さまと一緒に、『 我、渇く 』 ( ヨハネ1928  ) という十字架上のイエスのことばについて考えてみたいと思います。というより、私は今年の休暇中に参加した黙想会での体験を、皆さまと分かち合いたいのです。

 
この黙想会では毎日、午後5時から1時間、顕示されたご聖体の前で祈る時間が組まれていました。黙想会も終わりに近づいたある日、ご聖体を祭壇上に安置した指導司祭はいつものように、私たちの祈りの助けになるような短い話をし、「今日、イエスはあなたに『 我、渇く 』と言われる。あなたはこのイエスの渇きを和らげるために、何を差し出すのか?」と、私たちに問いかけました。イエズス会の黙想の家ですから、皆さんご存じのように、チャペルの正面の壁には大きな十字架が架かっています。十字架に架けられたイエスを見つめているうちに、突然、先の問いかけがこころに迫ってきました。私はこれまで何度も、『 我、渇く 』というイエスのこのことばを話の中で聞いたり聖書で読んだりしましたが、それが私への個人的な問いかけだと感じたことは一度もありませんでした。しかしこの日は、「あなたは、この私の渇きを潤すために、何を差し出すのか?」とイエスは私に迫りました。そして私は、「何を差し出せばいいのだろう?」「何を差し出すことができるだろうか?」と自分に問い続けました。この時に出会った『 我、渇く 』というイエスのことばは、
私の心に大きな一撃を与えました。あまりにもショッキングなこの問いかけは今も消えることなく、私はこの問いにどう応えるべきか自問し続けています。

イエスは愛に根ざしたおん父への従順から、すべての人を救いたいというおん父のご計画を全うするために、人間と同じ姿をとりご自分のいのちを捧げられました。こイエスの愛による全き従順によって、死刑の道具であった十字架が、忠実な生き方の証し、愛と救いのシンボルとなったのです。十字架称賛の祝日であるこの日に、皆さんに私の体験を分かち合い、『 我、渇く 』というこのことばが私たちにとって何を意味するのか、イエスは何に渇いておられるのか考えてみたいと思います。

 私たちは初誓願宣立の時に、イエスに従うために生涯を捧げることを誓約しました。すなわち、日々の生活において、十字架を担って彼についていくことを約束したのです。『誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、私についてきなさい。 』(マタイ1624節 )しかし、私たちは日々の生活において困難に出会う時、その重さや苦しさのゆえに、この十字架を放り出したい思いに駆られることがあります。皆さんも、「どうしてこのような辛いことが、私に?」「もう耐えられない」と、十字架から逃げたいと思ったことがあるのではないかと思います。十字架上のイエスは、そのような逃げ腰の私たちに、初誓願の時にした「ハイ」に忠実であるよう求めておられます。イエスは、私たちの愛に満ちた心からの「ハイ」という応答に渇いておられるのです。イエスが人となるためにマリアの「ハイ」が必要であったように、彼が救いのわざを継続していくためには、弟子であり友である私たちの信頼と愛に満ちた「ハイ」が必要なのです。

 メール・アンティエは、先の手紙の最後に『常に寛大な心で、主のくびきを担わなければなりません。時として、人間的な弱さのゆえに、そのくびきが重いと感じることがありますが、その時でさえ担わなければなりません。』と書いています。

   十字架称賛の祝日、そして修道会の創立記念日である今日、私は、自分自身のためそして皆さまのために、
「主よ、ハイと言わせてください ! と祈ります。創立者
メール・アンティエの後に続く私たちが、ショファイユの幼きイエズス修道会に招かれた恵みを感謝しつつ、生涯、召された道を誠実に歩み続けるために、これからも日々の生活において、いかなる時も「ハイ」と応え続けることができますように。
 
2024914日 
モンフェルメイユにて 

総長 シスター小井手 恵美子





仁川本部修道院
創立記念日に感謝の一日礼拝!






 新総長メッセージ



ショファイユの幼きイエズス修道会
創立1859年

第15代総長(2021~)
シスター小井手 惠美子
 



修道会創立163周年記念日にあたり会員にあてたメッセージより抜粋

 まもなく私たちは、十字架称賛の祝日を祝いますが、この日は、幼きイエズス修道会の創立163周年記念日でもあります。 
 本会の創立記念日が、十字架称賛の祝日と重なっていることは、私たち会員にとってはとても意味深いことであり、いろいろなことを考えさせてくれます。

 ところで、私たちは、1日に何度、十字架のしるしをしているでしょうか? 共同で、または個人でする祈りの始めや終りに、あるいは食前・食後に、あまりその意味も考えずに十字を切っているということはないでしょうか?( 私も含めて)

 イエスは、「どの掟が一番大切な掟か?」という律法学者の問いに、「心を尽くし、魂を尽くし、知恵を尽くして、主なる神を愛すること」そして、第2も第1と同じく大切で「隣人を自分と同じように愛すること」と答えました。この聖書のことばを聞く度に、私は十字架を思い起こします。一般的に、十字架の縦軸は神との関係を、横軸は隣人との関係を表していると言われています。縦軸だけ、また横軸だけでは十字架にはなりません。そして、その縦軸と横軸の交わるところに、磔にされたイエスの姿があります。このイエスの姿は、彼が律法学者への応えをそのまま生きたことを証ししていると言えます。父なる神は、ご自分の独り子を与えるほど人類を愛されました。そして、イエスはおん父の愛を示すために、おん父のみ旨を最優先し、それを実現するためにいのちを捧げました。また、私たちと同じ人間となって、私たちの中で生き、私たちを愛し、その愛する私たちのためにいのちを捧げました。十字架称賛の祝日を祝う時、私たちは、最も大切な掟、すなわち愛の掟に忠実に生きたモデルを、十字架上のイエスのうちに見ることができ、極みまで私たちを愛された彼に倣って生きる力を得ることができます。十字架の縦軸は、おん父とおん子の愛の交わりを、またイエスを通しておん父へ向かう私たちとの愛の繋がりを示していると言えます。さらに横軸は、イエスを中心に、すべての人類が愛によって結ばれていることを表していると言えるでしょう。  

 愛に生きたイエスに倣って、人々に神の愛を伝えるために修道生活に召された私たちにとって、この祝日は、自分自身をふりかえるよいチャンスです。「私は、おん父の愛に応えたいと願っているでしょうか?」「私を愛するためにいのちを捧げたイエスに従うため、日々与えられる十字架を引き受けようとしているでしょうか?」「私を必要としているこの姉妹、また隣人のために、喜んで自分の時間や能力を差し出しているでしょうか?」「日々の糧にもこと欠く人々のため、いのちの危機にさらされている人々のために、私たちにできる小さな犠牲を捧げているでしょうか、少なくともその現実に心を痛め、彼らのために祈っているでしょうか?」など‥‥愛のためにいのちを捧げられたイエスが架けられた十字架の前で、自分自身をじっくり見つめる時を持ってみてはいかがでしょう。  

 私への愛のためにいのちを捧げたイエスは、彼に倣って生きるようにと、私に求めます。しかし、弱い私の人間性は「日々、自分に与えられた十字架を担いつつ、愛に生きることは何と難しいことか‥‥」とつぶやきます。しかし、そのような時にも、いえ、そのような時こそ、土の器である私の中に生き、私を通して働かれる神さまに信頼して、一歩一歩、イエスのあとに続いて歩んでいく力を与えてくださるよう祈り求めたいと思います。

 創立者メール・アンティエは父である神の愛に、またその独り子であるイエスの愛に魅せられ、その愛を伝えるために、ショファイユの幼きイエズス修道会を創立しました。そして、創立者のあとに従った多くの先輩方によって、163年の歴史が築かれてきました。私たちにとって特別の日であるこの祝日に、これまで修道会に与えられたたくさんの恵みに感謝するとともに、創立者の心に燃えていた愛の炎を灯し続けながら、さらに次の世代にバトンタッチする責任を担っていることを自覚したいと思います。創立記念日を迎えるにあたり、私たちが、互いの弱さや限界を受け入れ・補い合いながら、真に兄弟愛に満ちた共同体的生き方をとおして神さまの愛を証しすることができるよう、また、私たちの後に続きたいと願う若者が多く与えられるよう、そして彼女たちが、希望を持ってこの炎を受け継いでいくために全会員が惜しみなく協力することができるよう、心を合わせて必要な恵みを祈り求めましょう。

 今日、全教会は、教皇フランシスコの呼びかけに応え、教会本来の姿に戻るため、2023年のシノドスに向けての歩みを続けています。共に歩むためには、先ず、聖霊に聴くこと、そしてお互いに、心で聴く・心を聴くことが大切です。
 修道会も今、大きな転換期を迎えています。ペトロの船のように荒波に弄ばれて漕ぎ悩んだり、時には、どちらに舵を切るべきか考えあぐねることも、人間的には不可能だと思われるようなこともありますが、そのような時にも、私たちのうちに生き、私たちを通して働かれる方に信頼しながら、ペトロのように「おことばですから、網を降ろしてみましょう」と言える存在でありたいと思います。 ・・・

 私たちが、おん父の愛にすべてを委ねて、聖霊に耳を傾け、イエスが共に歩んでくださっていることを信じ、勇気を持って前進することができますように‥‥

皆さまにとって、意義深い十字架称賛の祝日、また創立記念日でありますように!
主の十字架を称えつつ、祈りの中に一致して。  

 

202298日 聖母マリア誕生の祝日に
モンフェルメイユにて

                                          総長 小井手 惠美子




お知らせ一覧

 2025.11.3
(月・文化の日)
 
女子青年 長崎 一日巡礼 ご案内!   
多くの方の参加をお待ちしております。 

     
 
 2023.5.1  女子青年黙想会 ご案内!   

女子青年黙想会 《2023年6月10日(土 )~11日(日)》を開催いたします。
多くの方の参加をお待ちしております。 
詳細

      前回の女子青年黙想会

     
 
 2023.1.20  女子青年黙想会中止のお知らせ!   

来る、2月11~12日に予定していました”女子青年黙想会”は、
新型コロナウイルス感染拡大に伴い、中止させていただきます。
お申し込みいただきました方々には残念でございますが、また次の機会にお会いできますことを楽しみに致しております。
シスター一同